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日常生活で使える映画慣用句集

日常生活で便利に使える映画の名セリフを紹介していきます。ただし、あまり真面目に読み過ぎないで下さい。

2016年映画感想録~4

ブログのお題とは離れるけど、引き続きfacebookに書いた今年の映画感想集。
今回は『愛∞コンタクト』『この世界の片隅に』です。
これで最終回になるけど、感銘を受けても書いてないのがけっこうあります。『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』とか『大地を受け継ぐ』とか遂に公開に漕ぎ着けた『SHARING』とか、良かったですよ。話題の『シン・ゴジラ』も驚かされました。

『愛∞コンタクト』(2016/11/7 記)

早川ナオミことエロカワ中原翔子お姉さまが仕切った映画『愛∞コンタクト』を、渋谷ユーロスペースで観てきましたよ。性の鬼才、代々木忠監督の著書を原作に、深井朝子、渡辺あいの二監督が手がけた3話オムニバス。合間のツナギにも翔子様の情熱が伝わる。長谷川るみ主演の一話目はAIPあたりの手作りSFを思わせ、広澤草の二話目は「やっぱり寺島進の顔は映画に力をもたらすなあ」と確かな手応え、加藤夏希の三話目は映画制作バックステージもの。そういや早川ナオミの名前もバックステージもの『旧支配者のキャロル』に由来するんだよな、と、感慨深し。どれも女優の顔を一所懸命撮っていて、女性監督が女性の魅力を絞り出すのが見もの。観終えた後に女性は「こういう子、知ってる」「この気持ち、分かる」と語り合い、男性は渋谷の街を歩く女性に秘められたドラマを想像してみるのも一興ではないかな。18日までレイトショー。応援しています。

この世界の片隅に』(2016/12/5 記)

めっちゃ志が高くて誠実な映画だった。
ひとりの愛すべき人間が、豊かな風土が過酷な状況に移り変わっていく中で「生きた」ということを、その「肉体と魂」を引き受けて描くというのがどんなに大変なことか。充分な覚悟の上で必要なことを全てやろうとしている。
そうした作り手の姿勢は、開巻間もなく石段脇の石垣を利用して大きな荷物を背負うアクションから示されている。アニメで文字通り「描く」ことで「実感を創造」し、観客にも体験を分かち合うことを求める。そのような細かく丁寧な作業(=演出)の連続の中で、幻想シーンもみごとに花開く。
映画が終わってから、外に出る観客たち、ロビーを歩く人々に、皆が主人公と同じように「生きているんだな」と感じさせる。創造された主人公とその世界が、我々自身の世界への感じ方の導き手となる。なるほどこれは観て、浸ることで、自分を少しでも成長させてくれるような「芸術」なのだ。

※追記:これ、いわゆる「ジェルソミーナもの」の一種でもあるよね。誰がいわゆってるのか知らないけど。

2016年映画感想録~3

ブログのお題とは離れるけど、引き続きfacebookに書いた今年の映画感想集。
今回は『函館珈琲』『淵に立つ』です。

『函館珈琲』(2016/10/22 記)

イオンシネマ春日部にて鑑賞。
函館の風格あるアトリエ付きアパート翡翠館に、東京からやってきた青年。ガラス職人、テディベア職人、ピンホールカメラマンといったそれぞれに個性的な表現者たちとの交流の中で、抱え込んでいた大きな喪失感からの救済を見出していく。川島雄三貸間あり』などにも通じる共生の場の物語だ。
西尾孔志監督の映画というと前作『キッチンドライブ』前々作『ソウルフラワートレイン』など、ざっくりした描線の太さを感じさせるのが魅力だが。本作は柔らかさ、細やかさが勝り、その点で新境地を感じさせるものとなっている。前二作がリズミカルなデキシーランド・ジャズだとしたら、もう少し弦楽四重奏っぽい感じか。ちょっとした言葉や表情の余韻の中に、登場人物の心と心を丁寧にダブらせながら、世界を紡いでいる感じだ。
だから観る側も目に見える光や動きのみならず、珈琲の匂いや豆をすりつぶす手応え、ガラスを溶かす火の熱、テディベアの手触りなどを丁寧に掬い取りながら、映画の世界を消化していくことになる。この緊張は心地よい。そんな中でときおり主人公の抱えるある種の暴力性みたいなものにハッとさせられるのは、西尾監督らしさか。あと、相変わらず自転車は本当にうまく撮る。
とはいえ、個人的には-例えば-テディベア職人の青年が熊の着ぐるみで化けたとき、そのまま夜の函館にさまよい、車にポンとはねられて、でも熊の厚みで無事でした-みたいな喜劇的な逸脱があった方が好みかな…とも思ったりした。しかしそれはあくまでも好みであり、そういう想像をする心のノリシロみたいなのが出てきたのは、それだけ映画が刺激的だったからかも知れない。語りきらない余白に、観客としての俺の心が入っていったのかも知れない。だとしたら、この映画を観たことは、ひとつの豊かな体験なのだ。
俳優陣では、Azumi が良かった。こういうひとって、こういう顔してるよな-というリアリティを感じた。

『淵に立つ』(2016/11/4 記)

決して巧い映画ではない。
ラスト近く(ぼかして書くけど少しでもネタバレが嫌なひとは読まない方がいいかも)中年男の工場主、若い作業員男性、工場主の妻と娘は、4人で車に乗り、過去の事件の手がかりを求めて田舎に出かける。結局、手がかりは得られない。
妻は人生に完全に絶望しきっており、娘は自分の意思では全く動けない重度の障害がある。
さて、クライマックスはその妻が娘を連れて「とんでもない場所」に立ち、それを見た工場主と作業員が慌てる(という言い方も軽いが)というシチュエーションだ。そこに至るには何をしなきゃいけないかというと、いつの間にか妻が娘を連れて別行動し、工場主と作業員は-充分な時間をとってから-彼女らを追って、発見しなきゃならない。
さあ、どういう風に話を組み立てましょうか。
まず、2対2で引き離さなきゃいけない。ありがちなのは、工場主と作業員がちょっとジュースでも買いに行くってやつね。そして車に戻ってきました。妻と娘がいない。でもここで慌てて探させると、向こうは車椅子の娘と移動している身だから追いつきかねない。だから「トイレにでも行ったのか」と待ちます。待ちましたけど、帰ってこないので探し始めます。見つからないので、だんだん、焦ってきます。そこで、このシチュエーションに…。
でも、それをやっちゃヘタクソでしょ。
だって、ジュースを買いに行くシーンは「2対2で離れました」という意味しか持たないし、車にいないのを確認したけど「トイレか」と待つのはそれだけの意味しかない。車の外で待ってる様子のシーンを撮っても、「待ちました」という意味しかないし、立ち上がっても「そろそろ探しに行くか」という意味しかない。そういう「通り一遍の説明」の連続に観客をつき合わせなきゃいけない。
でも、やるんですよ、この映画。ご丁寧にも「いないですね」「トイレかな」なんてセリフ付きで。
だったらホラ、娘がトイレに行きたいってので作業員に車椅子で降りるのを手伝わせるとかさ、そっから-ジュースを買ってきたのでもいいや-戻ってきた工場主と作業員にそれなりに意味のある会話をさせるとかさ、いろいろ手はあるわけですよ。そうしないと、「二人がジュースを買いに行っていて、妻と娘がいない」というだけで「何かある」と思う観客に「何をボケっと待ってんだ、お前ら」と思わせちゃうわけですからね。
映画はクライマックス以前に、クライマックス直前の流れが大事で、そこが通り一遍になると-誤解を恐れずに言えば-自主映画にありがちなヘタさに陥っちゃうんです。「プロの語り」にはならない。
偉そうなこと言ってすいません。俺だってヘタクソです。しかも、ろくな経歴もありません。ほとんど素人みたいなもんです。
でもヘタクソで素人みたいな人間だからこそ、ひとの映画を観るときは巧さを求める「勝手な観客」になっちゃう。
先にあげた以外にも、この映画はヘタだな-というか、巧くないな-と思う点がいっぱいある。淡々としてるようで、説明過剰だし。
前半は「平和な家庭を怪しげな人物が乱していく」という点で黒沢清クリーピー/偽りの隣人』と共通するんだけど、比べりゃ黒沢さんはなんて巧いことか!-と思う。
でも、そんだけヘタなのに、この映画は観れちゃう。
そこがいいところなんだよな。
長さは感じるけど、そんなに退屈せずに、そこそこの興味を保ちながら観ることができちゃう。
例えば前半は、浅野忠信を見ているだけで映画を観ている気分になれる。この「立ってるだけでどことなく幽霊」な役者の持ち味を活かしてくれているのは、映画を観る上での大きな喜びである。
そんな浅野忠信を軸に、そこそこ面白い話は組み立てられている。
そして浅野忠信が工場主の妻に欲情するポイントが長い髪の毛だというのがよく分かる。その髪を「事件」後、切らせたのは実に正しい。その正しさが、映画として、視覚として、「目」を納得させる。
何よりも、巧いヘタを超えた映像の持続感があって、それは監督の「人間」としての持ち味だと思える。
作り手の匂い、空気、肌触りが、不断に画面に満ち満ちていて、通り一遍の説明でさえ、観客である俺をつき合わせる。これは理屈を超えたもので、俺のこだわる「巧さ」なんてのとは違う次元で、ひとを揺さぶるものだろう。
だから海外で評価されたわけで、「巧くなくてもダイレクトに映画を支える作家性」がアピールしたんだと思う。
そこは-少なくとも俺には-言葉では表現しきれない。だから皆さんにも、この「作家性」を浴びてみては?-と言うしかない。言葉では言い切れない持ち味が備わった「作家」は、羨ましくもある。
ただ、それでも「巧さ」が加わった方が、よりいいんじゃないかな-という、気持ちはあるけどね。

2016年映画感想録~2

ブログのお題とは離れるけど、前回の続きでfacebookに書いた今年の映画感想集。
振り返ってみると、意外に書いてなかったりひと言で済ませてるのも多い。まあ基本、褒められない映画のことは書かないのだが、かなり重要作についてもちゃんと書いてない。今年は特に春以降、忙しかったからか。
とりあえず、短い中から少しずつ選んで、今回は『チャイナ・ゲイト』『クリーピー 偽りの隣人』『ロスト・バケーション』『涙の数だけ笑おうよ-林家かん平奮闘記』『ハドソン川の奇跡』の5作を。

『チャイナ・ゲイト』(2016/3/4 記)

サミュエル・フラー『チャイナ・ゲイト』。現実と地続きと言わんばかりにニュースフィルムをふんだんに引用しつつも、ハリウッド的存在アンジー・ディキンソンに色気を振りまかせるふてぶてしさ。生の人と人とが殺し合う戦場を骨太に描いた驚くべきシーンの連続。“役者”ナット・キング・コール、最高だ。

『クリーピー 偽りの隣人』(2016/6/20 記)

『クリーピー 偽りの隣人』堪能した。最初の警察の廊下で開く扉からして、徹底した黒沢ホラーの語法。そう、歴然と超自然的な化物は出てこないけど、これはホラー。あと、原作は未読だけど絶対、『わらの犬』意識してるよね。出てきたのは、本物の犬だけど。この犬が、またいいんだ!

『ロスト・バケーション』(2016/8/3 記)

ジャウム・コレット=セラ『ロスト・バケーション』。ワン・シチュエーションで全力投球の気持ちよさ。重い潮の質感がいい。サメの怖さは期待通り。期待以上ではなかったけど。カモメがかわいい。たまにこういう、孤立無援ものは、観たくなるよね。

『涙の数だけ笑おうよ-林家かん平奮闘記』(2016/9/29 記)

『涙の数だけ笑おうよ-林家かん平奮闘記』。監督の竹藤 恵一郎くんは非常に個性的な作家なのだが、そんな自分の作家的野心に固執しすぎることなく、誠実に対象を追う。結果、かん平師匠の「語り」の魅力が徐々に浮き彫りにされ、映画もまたそれに寄り添うような優しくさわやかなものになった。車椅子の師匠に、お元気に、生きて下さいとお声をかけたくなる。また、他の登場人物も、それぞれに声が魅力的だ。師匠のお母様の食前の祈りなど、印象深い。

ハドソン川の奇跡』(2016/9/25 記)

心ならずも物語の主人公にされた男が、自分にとって真実の物語を取り戻すために戦う話。現実と物語の関係は『父親たちの星条旗』『J・エドガー』からつながるイーストウッド実録モノの重要な主題。声高にならず、程よく俗っぽい見せ方も心得た語り口が心憎いばかり。サスペンスやハードボイルドの基礎体力がある上での演出芸。テレビ局のメイクの女の子のちょっとしたエピソードも良いのだが、ああいうのってヘタなひとがやると「ホラ、ここ、いいでしょ」って感じになっちゃうんだよね。

2016年映画感想録~1

せっかくブログのスペースがあるのに使わないのは勿体ないので、お題とは離れるけど、facebook に載せてた2016年の映画感想を再録します。
本日は『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』『ブリッジ・オブ・スパイ』『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』です。

スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2016/1/7 記)

スター・ウォーズ/フォースの覚醒』観た。
うん、合格。
きちんと演出にメリハリがあって、キャラクターが生きていて、各々のシーンでどう思い入れをして盛り上がればいいか、分かりやすい映画になってる。
特にカレがカレを助けて、カノジョに出会って、追われた末に、アイツとアイツが出てきて、ヘンな怪物騒動になって逃げるまでは、絶好調。
カレがカレを助けた直後の狭い戦闘機内で背中合わせにやりとりする妙味や、酒場のシーンになってからカレがカノジョに「実はナニではないんだ」と自分の立場を明かすところとか、映画を演出で観る楽しみがあって。
これが、エピソードⅠ・Ⅲには無かったんだよな(Ⅱは未見)…と、思った次第。
ちゃんとキャラクターの「成長物語」としても芯が通ってるし、ピクサーっぽいコロコロロボットもかわいい。
思えばスターウォーズ・シリーズって、趣向としての新鮮味ってことでは、第一作で全部出しちゃってたのよ。
サーガっぽい世界観、フォースの対立、ユーモラスなロボット、宇宙の貴種流離譚、仮面の悪役、チャンバラ活劇、その他もろもろ、全部出てた。
007シリーズみたいに、「途中から」秘密兵器満載みたいな新たな趣向がプラスされることはなかったのよ。
じゃあもう、サーガに特化しちゃってひたすら話を語り継ぐか、最初に出た材料の変奏で良質な娯楽映画を作るかですけどね。
頑固なマニアの中には前者がイイってひともいるかも知れないけど、俺みたいに特別に思い入れのない映画好きは後者でやってくれればいいわけで。
その意味で、今回のは大成功。
マジメにマンガみたいな芝居をするヒロインも、かわいいですよ。
ただただ、楽しい映画でした。

ブリッジ・オブ・スパイ』(2016/1/17 記)

スティーヴン・スピルバーグブリッジ・オブ・スパイ』を観た。
シリアスな重い感動の残る実録モノだが、基本『E.T.』と同じ話。
異世界で疎外され政府に捕らわれた者を助け、彼の国に帰す。
E.T.に当たるソ連スパイ、マーク・ライアンス(物凄くいい)が佇まいまで似ていて、助け出す主人公がトム・ハンクス
思えばハンクスも、同じスピルバーグ作品『ターミナル』で、E.T.役を演じたのであった。
どの作品でもE.T.は特技を持つ。
本作ではそこから生み出された「プレゼント」が「イツモ、ココニ、イルヨ」の台詞に代わる役割を担い、泣かせる。
また、E.T.の「異邦人性」が主人公にも伝染してしまうのが特徴で。
ソ連のスパイの弁護士ということで、「売国奴」扱いを受けるのだが。
悲しいことにいまの日本では、ちょっとタイムリーである。
弁護士が電車の中で市民たちから敵視されるシーン。
この感覚もまた、スピルバーグ本来の異邦人気質というか、『激突』のドライバーが集う店のシーンを思い出したりする。
実に一貫した作家なのだ。
巧みさに感嘆するシーンも多く、全て挙げるのは避けるが。
クライマックスでは橋という舞台設定から、他所からの連絡を待つサスペンス、人物それぞれの想い等々…を見事に生かし切って。
「ああ、この『ぜんぶ使う』感じがアメリカ映画だよなあ!」と思わせる。
細かい点でも「両手にグラスを持ってひとつを相手に渡す」というさりげない芝居で、交渉している感じを出すあたり、流石である。

ベートーヴェン通りの死んだ鳩』(2016/2/21 記)

面白かった! 普通の映画が活版印刷され、製本された本だとすると、そこらの紙切れに書き殴り、ホッチキス留めしてバサッと投げ出したような『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』! 雑さが魅力の手作り感は藤原章さんの映画のようでもある。もちろん-暴力的なところだけでなく-あおりの構図での人物の動かし方や、力強いアップなど、フラー的な特徴も詰まってる。演じさせることで金を取るのは映画界のメタファーでもある。ドラマの中で登場人物が嘘を演じ、一方、現実の街並みやカーニバルが映し出される面白さ。低予算映画の野蛮な魅力が堪能できる。

ちょい待ち!

☆ちょい待ち!
『ジャズ・シンガー』
1927年の部分トーキー作品より。
映画史上最初に発せられたセリフとして有名なものです。
主人公の歌手が拍手喝采する客に語りかけるもので。
映画好きなら、常識として押さえておきたいですね。
なお、このセリフが二回繰り返された後で、「お楽しみはこれからだ」と続きますが。
こっちは映画史上三番目のセリフなので、あまり有名じゃないと思います。
実生活では、なんかウマイこと言う前につけ加えましょう。
例:「ちょい待ち!ちょい待ち!…どうか、はかある人生を!」
(一部地域・世代の方限定のネタでスイマセン)

☆あのゴジラが最後の一匹だとは思えない
『ゴジラ』
ゴジラが最初に出てくることで有名なゴジラのラストシーンで語られるセリフです。
死の兵器オキシジェン・デストロイヤーで、東京を襲ったゴジラは死んだ。
しかしなお核実験が続く限り、同じような怪物が蘇ってくるかも知れない。
そのような意味で語られていて、極めて真面目なものです。
このとき、その後現れたゴジラがシェーするなど、誰が予想したでしょうか。
実生活では、特にゴジラを指さない場合でも、敢えてそのまま使って下さい。
例:「ずいぶんツィッターで無駄なやりとりをしてしまったよ」
「最後までひとの話を聞こうとしませんでしたね」
「ああ。しかし、あのゴジラが最後の一匹とは思えない


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私はクレメンタインという名前が大好きです

☆私はクレメンタインという名前が大好きです
『荒野の決闘』
西部史に名高いOK牧場の決闘を描いたジョン・フォード監督の傑作です。
ラストで主人公ワイアット・アープが、ヒロインのクレメンタインに告げるセリフ。
みごとな照れ隠しですね。
クレメンタインの部分を置き換えて、いろいろな場面で使ってみて下さい。
特にアイドルの握手会などで、何を言っていいか分からないときに便利です。
例:「私はぱいぱいでか美という名前が大好きです」

☆10回も目を通したがまだ信じられん
『合衆国最後の日』
最近リバイバル公開されたロバート・アルドリッチ監督の77年度作品。
初公開のとき、筆者はまだ高校生でした。
京都の繁華街を学友たちと歩いていて、映画を観ようという話になったとき。
俺とひとりは「この映画に行きたい」と言い、他の三人は(当時大人気だった)竹下景子主演の『雨のめぐり逢い』を主張したのです。
結局二派に分かれて行くことになったわけですが。
そりゃもう、男の子の血を騒がすアルドリッチの傑作ですから、俺らは大満足ですよ。
翌日学校で、『雨のめぐり逢い』派に
「どやった?こっちは、むちゃくちゃオモロかったぞ!」
と話しかけると、
「うーん、まあまあやったけど。一緒にやってたんが、ホンマ、わけわからん映画で」
との答え。
それが、『悲愁物語』でした。
さて、上記のセリフは大統領が-自分には知らされてなかった-政府の機密文書を読んで、怒りと驚愕に震えながら口にするもの。
どうしても受け入れがたい事実を前にしたときに、お使い下さい。
例:『こどものうた』の本を手に
「10回も目を通したがまだ信じられん…あの歌のタイトルが、『くつがなる』だと!!ふつう、『おててつないで』だろ!!」


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